『イマ』

『イマ』とは、今(now)であり、居間(Living Room)でもあり、同時代を共有しながら語らえる温かな共有の場です。

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みんな働き始めて数年がたって、自分の仕事や人生を考えてみる時期ではないかと祭りや集まりのときの話題を聞くと思ったりします。
立ち止まって考えたり、自分のスキルを向上させていくためにも、ONとOFFの切り替えは重要ではないでしょうか。
『イマ』の第1回の話題は、そんなONとOFFをみんながどのように考えているか意見交換ができたらと思います。
呼び水的にぼくの考えを記してみました。
最後に1問だけアンケートが付いていますのでぜひお答えください。参考資料も文末につけました。
また、コメント欄に、みんなの考えや取り組みでシェアできることがあったら書いてください!お願いします。



【ワークライフバランスについて】
少し前から、ワークライフバランスという言葉がよく聞かれるけれど、皆さんは意識したことがあるだろうか。ちなみに、日本人の平均残業時間は先進国の中では、かなり長いという調査結果がある。
僕個人で言えば、
会社でそのことが話題になることもあり、2~3年前から意識している。

思い起こすと入社から数年は、闇雲に残業して仕事をしていた。独身の一人暮らしとなれば、時間は使いたいように使ってよいので、長々とやっていたのだと思う。


しかし、4年目くらいのときの部長がマーケティングを仕事にしている者は、20%を温存して次の発想を生むのに投資せよ、と号令をかけた。
また、生活者(消費者をより拡大した概念)の視点は、机の上に齧りついていて得られるものではないという点もあった。

ON/OFFの切り替えについては、熱心に取り組んでいる企業がいくつか存在する。
元トリンプの社長の吉越さんは、下着メーカートリンプで毎日ノー残業デーの徹底を実施しながらも会社の業績は連続で成長させるのに成功している。
また、ユニクロや無印なども残業は禁止とのこと。
トリンプでは、最初は週1回のノー残業デーの実施をしただけでも社内でかなりの抵抗を受けたようだが、徐々に定着し、1日ずつノー残業デーを増やして行き、ついには毎日がノー残業デーにしている。

特に、クリエイティブな職種は、仕事から少し離れて違う刺激を受けて、また仕事に戻ることで新たな発想に行き着くこともある。
空いた時間を自己啓発に当てることで、スキルを向上させることもできる。

もちろん様々な職種があるので、全てに当てはまるかどうかはわからない。
ただ、自分の働くステージとは違う価値観に触れる場を意図的に作り出しておくと、より本業も伸びる気がするし、生活にもゆとりがでるのではないかとも思う。

ちなみに、キャリアコンサルタントの高橋俊介さんは、ワークライフバランスを常に求めるのではなくキャリアに時代をつけ、「がむしゃらにするとき」、「私生活に重きを置く時代」と中期的にメリハリをつけて管理していくのがよいのでは、と語っている。

高橋さんは、マッキンゼー時代は月間300時間の残業をしていたが、結婚を機に退職し、そこからの数年は家族中心の生活スタイルを確立したとか。
「マッキンゼーで300時間なんてのをはじめから知ってたら行きませんでしたよ(笑)」「でも、あの時代に蓄えた実力はあまりにも大きい」と言っていたのが印象的だった。
ワークライフバランスにも、それぞれのスタイルがあるのだと思う。

【ONとOFFの切り替え】
今回は、OnとOFFの切り替えがテーマなので、自分のワークライフバランスについて考えてみた。
OnとOFFの切り替えについて思い浮かぶことを列挙すると、次のようなことは意識している。

●一定時間「がんばるタイム」という集中力を高める時間を設定し実行する。(90~120分)
●週2回は19時までには退社するようにしている。
●有給休暇(年間14日)を使うことを仕事の一つとして考えて消化。
 特に一週間以上の長期休暇を取るときは、1ヶ月くらい前から少しずつ予定調整し周りにも強力を仰ぐ。お互いそれがやりやすい雰囲気をつくる。
●極力、家で会社の事務作業はしない。
●家では会社のメール確認をしない。
 メールは便利になった反面、どこかで線引きをしないと私生活にも浸食してくる。
●仕事終わりに泳いで、凝り固まった姿勢をリセットする。
 やはり身体を動かすと、On/OFFのスイッチが切り替わった気がする。
●仕事を4つのランクに分けて、制限時間内での効率的処理を心がける。
 ①重要度(○)緊急度(○) ②重要度(○)緊急度(×) ③重要度(×) 緊急度(○) ④重要度(×) 緊急度(×)
 やはりサラリーマンであると①に追われがち。以外と、③なんてのもあるかもしれない。
 ②をこなすためにどうやって時間を生み出すかもまた課題。場合によっては、OFFの中で②をこなすというのもありなのかもとは考える。

Q 仕事と私生活のONとOFFを意識して生活していますか?(該当する選択肢をクリックしてください)


 ・意識していて、上手く切り替えられることが多い

 ・意識しているが、上手く切り替えられないことが多い

 ・意識していない

  結果
 -ブログでアンケート-


*参考資料
「生産性新聞 働きすぎ日本人の実像」

○朝日新聞記事より「残業時間どう減らす 『割増率アップ』国会提出へ 先進国で飛び抜けた『大国』」

 会社員の10人に1人が夜10時すぎまで残業している――。先進国の中で飛び抜けて長い「残業大国」の是正に向け、残業代の割増率引き上げが、今国会に提出される労働基準法改正案に盛り込まれる見通しだ。残業時間が長くなるほど割増率が上がる改正だが、これで青天井といわれる日本の残業は本当に減るのだろうか。(足立朋子、竹信三恵子)

 ○長時間なぜ? 穴だらけの法規制
 「午前8時から深夜まで勤務。休みは半年前に取っただけ。残業代を請求するのは仕事ができない やつだと思っていた」(銀行勤務、34歳男性)。「毎日終電で帰る。買い物に行けず、お風呂に入る時間もない」(デザイン会社勤務の女性)
 過労問題に取り組む日本労働弁護団の電話ホットラインに寄せられた相談の例だ。
 厚生労働省の調査では、1日おきに午後7時ごろまで残業するといった人は、全雇用者の半数に過ぎない。一方、毎日午後10時すぎまで働く人は1割を超える=図。
 なぜこんな残業が当たり前になっているのか。
 労基法は労働者を保護するため、1日8時間、週40時間を超えて労働させてはならないと定めている。つまり、残業は原則は禁止なのだ。違反には懲役もある。
 だが、企業が労働組合などと労使協定(通称36=さぶろく=協定)を結べば、残業させても違反にならない。残業の上限は年360時間、月45時間。男女雇用機会均等法の改正に伴い、99年、女性を対象にした年150時間という残業規制を撤廃した代わりに、男女共通の上限が設けられた。
 ただし、この上限には罰則がないうえ、36協定に加えて「特別条項」を結べば上限を超えられる。厚労省の05年度の調査では、従業員300人超の企業のうち、7割近くが特別条項を利用する。しかも、特別条項には上限の定めがない。
 過労死の認定基準に匹敵する月80時間や100時間残業させても合法で、法規制は抜け穴だらけだ。歯止め役の労組の組織率も低迷している。
 02年の育児・介護休業法改正で、育児や介護をする人が請求すれば、残業の上限を年150時間以内とすることが盛り込まれたが、やはり罰則はない。結局、できあがったのは、男女共通の残業社会だ。
 その結果、先進国のなかでも日本の労働時間は飛び抜けて長い。労働政策研究・研修機構の小倉一哉研究員によると、国際労働機関(ILO)の04年発表の国際比較データでは、00年に週50時間以上働く人は日本が28・1%、仏独は5%台だ=グラフ。
 80年代から社会問題化した過労死も改善が進まず、脳・心疾患で労災認定を受けた人は、05年度で330人と過去最多を更新。うつなど精神障害の認定も多く、127人に上った。

 ■残業時間と労働者の分布
 (総数5268万人。厚労省まとめ)
 ※法定労働時間週40時間
 【月の残業13時間】
 1日おきに午後7時ごろまで残業する働き方 2871万人(54.5%)
 【月の残業39時間】
 毎日8時近くまで残業            928  (17.6)
 【月の残業87時間】
 毎日10時を超えて残業           852  (16.2)
 【月の残業87時間超】           617  (11.7)
 ○引き上げ案有効? 欧州より低い水準
 では、残業代の割増率を上げれば、残業は減るのだろうか。
 現在、1日8時間を超えると、平日で基本賃金の25%増し以上の残業代を支払うことになっている。政府・与党の改正案では、月80時間を超えた場合に割増率を50%以上にする。45時間超の場合も労使で25%超にするよう努力義務を課す=図。
 一定の前進だが、それでも連合側は「人を新しく雇うより残業をさせた方が得になってしまう」と、少しでも残業したら50%の割増賃金を払うよう求める。厚労省が昨年、残業のコストが新規採用を上回る分岐点となる割増率を試算したところ、53・2%だった。
 海外の割増賃金は、平日の残業50%、休日出勤100%が標準だ=表。「残業させない割増率」という考え方に基づく。
 割増賃金の計算基準となる賃金のとらえ方も違う。日本では、住宅手当や賞与を除いた基本給に割増率をかけるが、欧州では賞与や手当も含めたすべての賃金に割増率をかけるため、実際の残業代はさらに多くなる。
 一方、経済界はコスト増が経営に響くため、「割増賃金アップと残業抑制には因果関係がない」(紀陸孝・経団連専務理事)と主張してきた。かえって、残業代目当てに長く残業する人が増えるとの言い分だ。
 これには自民党議員からも、「残業は管理職が指示するもので、だらだら残っている人には査定を低くすればいい。企業の労務管理の問題だ」との批判が出ている。

 ■各国の残業代の割増率
 国名(法定時間)   時間外(+深夜加算)  休日
 日本(週40時間)  25%(25%)    35%
 アメリカ(40)   50%         ―
 フランス(35)   週8時間まで25%、  ―
           超えると50%
 ベルギー(38)   50%         100%
 中国(40)     50%         休日200%、
                       法定祝祭日300%
 韓国(40)     50%(+50%)   50%
 インドネシア(40) 1日1時間まで50%、 7時間まで100%、
           超えると100%    超えると200%
 フィリピン(―)   25%         30%
 タイ(48)     50%         100%

 (厚労省まとめ。「―」は法律で定めていない場合。)
 ○「不払い」増える? 「命の問題」へ意識改革を
 一方、割増率を上げても残業は減らない、との指摘もある。サービス残業(不払い残業)の存在があるからだ。
 厚労省が05年度に摘発した不払い残業は、1社100万円以上に限っても約1500社、総額233億円あった。小倉研究員の最近の調査では、不払い残業を経験している労働者は2人に1人。今も小売業などで、基本の週労働時間を法律違反の48時間にしている会社が1割以上。8時間分は最初から不払いの可能性がある。
 小倉さんは「高額な割増賃金は不払い残業の闇を広げる。割増率アップは不払い残業という『穴』をふさいだうえで行うべきだ」と主張する。
 政策研究大学院大学の濱口桂一郎教授(労働法)は「長時間労働は悪いといいつつ36協定の問題には手をつけず、間接的な規制である割増賃金のことしか言わないのは奇妙だ」と指摘する。今回の改正論議でも、月80時間を超える残業は禁じるべきだとの主張もあったが、経営への影響を考慮し、与党調整の段階で見送られた。
 欧州では、労働時間を健康と安全の問題ととらえ、欧州連合(EU)の規制で、残業も含めて週48時間以内が原則になっている。さらに、1日11時間の休息時間をとらせるよう規制する。
 濱口教授は「均等法改正前は女性の上限規制があり、査察も入った。今は職場の緊張感も消えた。割増賃金はカネの話だが、労働時間は命の問題。EUの休息時間のような規制を罰則つきで新設すれば『カネより命』の意識改革に向けたショック療法になる」と話す。
 ◇今こそ企業も対策を
 労働時間規制は、1日のうち「8時間は仕事、8時間は睡眠、8時間は自分に」という考え方に基づいている。19世紀末、米国の労働運動から始まった。
 政府・与党は、「仕事と生活の調和」を重視しようと割増率引き上げを打ち出した。だが、「月80時間以上」からでは迫力不足は否めない。半年続けば過労死が心配されるラインだ。
 日本では解雇を避ける代わりに、残業を仕事量の増減の調整弁にしてきた。だがいま、歯止めなく増える労働時間が人々の健康や家庭、地域生活を侵し、心の病や少子化という形で国の足元を揺るがしている。
 働き手を使いつぶしてしまうようなことは、企業にとっても得策ではない。景気はすでに回復基調だ。企業は、消費者や株主だけでなく、働く人をコンプライアンス(法令順守)の最優先におき、労働法の重視など実効性ある対策に踏み切るチャンスだ。

(朝日新聞 H19.2.8)
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Shin.Kさんへ(ご利用のしおりありがとうございます:)
オンとオフの切り替えからは外れてしまいますが、
ご紹介くださった「がんばるタイム」にみられるように、オンの中でもレベルがあるのかもしれないと思います。
オンの中での「がんばらないタイム」もお勧めです。数時間おきに5分くらい外に抜け出してぼうっとやったことを振り返り、これからやることを考えると「あっそうだ!」ということに気づいたりするので。

2009.01.21 00:44 URL | yukiko #- [ 編集 ]

>yukikoさん
コメントありがとう。
Onの濃度というのも、重要な視点かもしれませんね。
休憩の取り方だって上手くすれば、Onの密度をあげてくれるだろうし。
タバコを吸う人は、数時間に1回上手くリラックスしているなあって傍目に思ったりします。

ぼくももう少し休憩を上手く取り入れてみようかな。前は、ちょっと散歩に外を歩いたりしてたんだけど、最近は疲れるまでつっきってしまうこともちょくちょくです。

仕事中の集中力を高める方法なんかもあれば、ぜひぜひみなさん教えてください!

2009.01.22 00:29 URL | Shin.K #ejxNrb6s [ 編集 ]

「OnとOffの切り替え」

■0:社会人となり3年弱、
学生時代に描いていたあわい理想の記憶の消えないうちに

 ・100%の職業人観への揺らぎ
 ・移れぬ対極観
 ・問題は〈主体性〉か!?

という流れで、お題の「OnとOffの切り替え」というテーマについて、
自身の経験も絡めて、思ったこと、考えが変わって来たことなど書きます。

■1:まず、学生時代に戻って…、
僕は「建築」を学ぶ学生だったのですが、
そこでは進路選択の際、面白い「分かれ道」がありました。
組織系(ゼネコンや大手設計事務所)に行くか、
アトリエ系(いわゆる建築家先生の個人事務所)に行くかというものです。
そしてそれはさかのぼり、3年秋頃の4年生での研究室を選ぶさいから関わるものでした。
当時、うちの大学では、
組織系ではI先生という、某・有楽町マリオンなどの設計をした事務所のプリンシパル・アーキテクトを勤められた大先生と
アトリエ系ではT先生という、テレビや雑誌にも頻繁に登場するタレント的魅力を持った若い先生と
その二人のどちらの研究室に行くかというのが、毎年話題になりました。
何が面白いかというと、
この2つの選択肢には序列がないんですね。並列している。
実際、毎年、設計の成績がいい連中がどちらにつくかというのは本当に割れました。
このあたりは、僕は、生き方の選択肢としてすごく好きでした。
どちらかがどちらかにコンプレックスがあるわけではなく、互いに別個の志向性がありました。
…そして、この対立は、働き出して3年後にもう一度、テーマとして浮上します。それは結論部で。
(ちなみのちなみに、僕は研究室的にはアトリエ系を選びつつ、その後の進路では「第三の道」へ進みます。
それはまた別の話 (←王様のレストラン風に) )

■2:で、働き始めます。
マンションのデベロッパー。住宅を事業主として川上から捉えておきたかった。
いっても、サラリーマンです。まさか自分がネクタイ巻いて毎日働くとは、思ってもいなかった、がんばってます(笑)。
そして、そこで、
学生時代に描いていたような
「24時間365日仕事だ!」というような「100%の職業人」でありたいという思いが頓挫します。
社会学者ミルズが『社会学的想像力』の中で、
職業的知識人として、彼らは仕事とプライベートを分けられないくらい
真剣にそのテーマについて考えているのだ!…みたいな言葉に妄想をふくらませていた自分は萎みました。
というのも、本当に100%やろうとすると、忙しすぎて、睡眠時間もどんどん削られ
これが望んでいた状態なのか!?と思いました。
また、周りで残業してる先輩連中を見て、
なんだか、残業のための残業というか、残ってることに意義があるみたいな…
(このころ、トリンプのノー残業デーの話など、身にしみました。)
また、その頃からか、社会学者・宮台真司氏なども、
仕事での自己実現否定論みたいなのを言い出して…。
あと、これは30歳の年齢的な問題もあるのかもしれませんが、
「人生は長距離走」(by村上春樹)だということを体感したからかもしれません。
20代の頃のような、短距離的発想(不眠ナルシズムの、徹夜Lover的な)が
10年スパンくらいで人生を見返せるようになり、
現実的にあり得ないなと思ってきて、
(そういえば、浪人生活のはじめに、
浪人生の勉強法は、1年スパンだから、期末試験の一夜漬け的発想は止めましょうみたいなことを言われた気が…)。
…結構色々考え直しました。

■3:しかし、
それじゃあ、対極の方に行って、
「仕事とプライベートはしっかり分けて」…にも、移れなかったんですよね-。なぜか…。
というのも、
確かに仕事の中のある種のルーティン化してマニュアル的な部分は効率化して
いかに速く、いかにミスを少なくって部分もある。
これは、計画段階で完成が見えていて、いかに計画通りにこなすかということ
(…いわゆる、ゼネコンによる建物の「施工」はこれだと思う。)
ただ、僕は、いわゆる「企画」をすることを主にやらせてもらっていたんだけど、
そこでは、当初から明確なゴールがない。
その都度その都度、たまたま協力してくれる人によって方向が変わったり、
そもそも、完全はなく、それこそ、どろなわ的に出来る力をふりしぼるのみだったりする。
また、理想を追い求めていくことは、いわゆるマニュアルがある仕事ではないし、
それこそ、生活の中で見聞きするすべてが「ネタ」になる。
新聞、ニュースも、ノルマ的に強制されていたらイヤかもしれないけど、
そこから新しい企画の芽を拾う作業は、とても楽しかったし、
そこには、会社にいる時間も家にいる時間もなかったと思います。

■4:とか何とか言ってる内に
市場はすっかり危機的状況で、
不動産は特に、2008年は飛びまくりました!
(…なんとか生き延びてるのはスゴイ)
それで、そのうち販売を手伝う機会が出てきたのですが、
この辺から、また、いろいろ感じるようになりました。
というのも、休日が不確定になったのですね、
接客は基本、土日ですし、
通常の業務もある。
だから、必然、休めるときに休んで的に、
結構、突然、出ることになったりで、
かなり振り回される状況になってきました。

かつて企画メインで仕事できたときは、
実際、スケジュールは最小限の会議など除けば、
自分で勝手に立てて、勝手に合いたい人にあって、勝手に集中モードに入って…
と、自分の都合で動けました。
そういう時は、いくら時間的に長く働いていても、
自分でやってる感じがしたので
(うがった見方をすれば、そうした環境自体、経営者からメタにつくられているのだよ…
とかも見れなくはないのでしょうけど)
そういうときは、精神的にはラクでした。
反対に、いくら時間が短く、肉体的にラクでも、
受け身の状態で、上からの命令待ちみたいなときは
ぼくにとっては、心の萎える環境だったと思います。

実際、尊敬する先輩で
かつて10年くらい設計事務所で働いていた人に聞くと、
今より数倍残業時間多かった(し、のわりに給料も少なかった)けど、
疲れ方が違うと話してました。
(実際、設計事務所の仕事は、やることやれば、
個人技の部分が多いので、家でやったり、夜やったり、自由です。その意味でアトリエ的です。
対して、会社の仕事はやはり、組織の一部として働くことになります。違う疲れとは組織疲れともいえます。)

以上の経験から分かったのは、いわゆる「仕事」の中には、その種類によって
 A:主体軸
 B:社会軸
があると思った。
(ここで、C:お金軸というのは、あえて大前提として、省きます。)

やはり、自分は、
自ら考えて自分で時間を組み立てて、〈主体的〉に動けるときは、そうでさえあれば、
時間的拘束や、身体的疲労は、結構二次的かなと思いました。
(反対に、主体性がなくなると、いくらラクになってもつらいです)
また、Bの社会性は、〈貢献〉とか〈他者〉を意識できるかみたいなことで、
今自分のしてることが、何か役に立っている感じ
(再び、さっきの先輩ですが、
本当にベタな話ですが、施主さんからの「ありがとう」の一言ですべての疲れが吹き飛ぶとも言ってました。)
がないと、~つまり、単に目の前のノルマをこなすだけなどになってしまうと~
かなり、これもツライ
…ということが少なくとも自分に関しては仮説として成り立つと思いました。

■5:とはいうものの
さて、以上のことが、
自身のわずかな経験から立てた仮説ですが、
とはいうものの、現実には主体性は確保されず、社会的意義の見いだせる仕事の領域などわずかで
なにより、食うために一定量のお給料は必要なわけで…、
現実的には、何層かの心持ちの違いをもちつつ、生きていくのだと思う。
だから、以前も書いた
「二足のわらじ」パートタイム作家
http://blog.livedoor.jp/daiyoji/search?q=%B2%B5%BD%F7
や、「世を忍ぶ仮の姿」とかがテーマになるのかと思うし、
実際問題のOn/Off術で、先日のRYM氏の「ストップウォッチで仕事時間量をレコーディング管理」などの
テクニックが重要になるのだと思います。

…と同時に、やはり自分は、何のために働くのか
という〈価値〉のことを考えずにはおれん意味に縛られた
ダメなオトコなのかもしれません…。(この問いは多分、ずっと続くと思います。)

2009.01.22 18:06 URL | Is #ejxNrb6s [ 編集 ]

『ONとOFFの切り替え』 稲葉

■自分の職業 医師に関して

まず、『仕事のOnとOff』がどういうものか決めます。これは職業にかなり依存するし、職業でもどういうポジションにいるかでかなり変動する。
例えば、自分の職業は医者であり、(1)心臓カテーテル治療を現在専門にしていて、(2)入院患者も数人受け持っている。
(1)をやっている限りは救急車で緊急入院した人には30分以内に駆けつけて治療に取り掛からないといけない。これをオンコール(on call)当番と言うけれど、この3年間はほぼ半分程度がオンコールの日だった!(しかも当直が4日に1日もあって辛すぎる!) 
(2)のように入院患者さんを担当している場合、かなり重症で命にかかわる状態の場合、基本的には病院に貼り付けになる(チーム制になっていて、複数で責任を分担する場合は調節も可能だが、主治医制の場合は基本的に全責任を自分が負う)。家に帰れても夜中に電話がかかることも多い。 

この二つが状況に応じて刻々と変化するので、(1)と(2)の状況により、明確なOffが存在しないことも多い。そして、これは同じ医者でも違うことをやっていれば状況は全然違う。それはいいとか悪いとかではなくて、何を対象にしているかで違うんだと思う。

そして、医者の中でも全然違うのと同じように、OnとOffの切り替えの悩みは、それぞれの職業でも違うんだろう。政治家でも新聞記者でも芸能人でも『24時間戦えますか?』で同じような要素があるのかもしれない。この辺は、いろんな仕事の人がOnとOffのことを語ってもらえると徐徐に分かりそう。


■OnとOffの間のグレイゾーン

いづれにせよ、どの職種でもOnとOffの間のグレイゾーンというものがあって、実はそこに、この『OnとOffの切り替え問題』の謎が潜んでいるんじゃないかと勝手に考えた。

自分も、OnとOffがうまく切り替えているとは全く思えない!悩んでいる。 いい塩梅というのが難しいと思っているけれど、OnとかOffとかを考えることすらなくなったとき、その問い自体が消失したとき、Onの仕事が「天職!」と思えるのかもしれない。
それは、仕事が趣味でも遊びでも生活でもあるような状態になること。OnとかOffとか境界自体が全くなくなって、渾然一体とした塊になることだろう。

いづれにせよ、人間は境界があるとき、その狭間で揺れ動いて、その揺れ動くことを悩みと言ったりするような気さえしてくるのです。
グレイゾーンが多いから、自分は『OnとOffの切り替え問題』に悩んでいるんだと思うし、そういう仕事である以上、ある程度はしょうがない気がしてきたのです。


■遥か彼方としてのOff

OnとOffという2項対立な概念があることをまず前提にした上で、いかにその二つが相補的に呼応し合う建設的な関係を結べるかを考えてみたい。(この問題って、人間関係含めて自分が昔から考えているテーマと同じだって気づいた。自己と他者とか、自己と世界とか、男と女とかね。脱線するから今回は止めとこう笑)

結論から言えば、いいOffとは、Onである状態を完全に忘却できるような、遥か彼方の状態がいいOffなんだろうと思っている。


■死を想う


この世界は豊穣。百花繚乱。色んな世界や人に溢れている。人生は有限で、この現世が全てであると仮定するならば(ここは自分でも異論はあるけど、まあとりあえず仮定として)、できる限り色んなものを味わってから死にたいと思っている。

子供のころから生とか死に興味があった。医師を仕事にすると、色んな人の色んな形の死を見ることになるのだが、人間の命がいかに儚いもので、どんな人にでも必ず死神はやってきて不条理な形で死を宣告するということ、その人の死は、いかに周りの人間や場にさざ波のような影響を与えていくか、その現場を何度も見て聞いて感じてしまった。本当は自分の肉親や親友や恋人など、限られた人の死の臨床にしか立ち会えないのだと思うけど、医師の仕事の特権として色んな人の死に立ち会った。

そういう死を想った経験から、人生は一度切りで、絶対に一回しかないのなら、この世界を満喫したいと思うようになった。
ここから虚無思想に陥る人もいるかもしれない。「どうせ死ぬんでしょ!じゃあ何をやっても同じじゃない!」と。その方向に行く危うさも分かる。
でも、自分はカラッポで、チッポケな人間。だからこそ、自分の考えの方向性っていうのは、場や他者に大きく方向づけられると思う。 自分の周りには、世界や人間を愛してやまない人がいて、その人たちはいつもキラキラして輝いているように見える。その光に、自分は虫のように自然に吸いつけられる。
だから、自分は虚無思想に陥らず、この一回性を満喫したいと思うようになったんだと思う。そういう意味で、自分は本当に何もないチッポケな人間で、他の人や場の存在にいかに影響を受けているかと気付かされる。だからこそ感謝している。


■Onである仕事の位置づけと、Offの存在

Onである仕事もより充実させたい。ただ、自分が知らない人や知らない世界にお墨付きをつけてもらったり、よく分からない名誉を受けるよりも、自分の周りの人から『イイね!』と言われるOnの仕事をしたい。自分にとっては、愛する周りの人に『イイ!』って言ってもらう方がより大事で、よく知らない人に自分の虚構と共に認められるのはあまり好まない。それは自分のまわりの他者の力によって自分が方向づけられているからこその感謝と恩返しのような発想なのかもしれない。


Onである仕事をより面白く、未知なるものへ発展させるするためには、Offが存在していることがかなり重要な気がしてきている。

Onである仕事と、いかに全然違う彼方へと行き、そこでOffを過ごすか。より彼方へ。より彼方へ。
それを意識している。
その営みのおかげで、Onである仕事が、自分という中で未知なるものと出会って核融合して行くんじゃないかと思っているから。それは、自分でしかできないことだし、それがオリジナルなんじゃないかと思う。『個性とは自分が自分であること』だと思っているんだけど、自分の興味や好きなものや嗅覚に、正直に素直に生きていくこと。それがオリジナルなんだと思っている。そのためには、狭い自意識の外にある彼方との出会いが大事なんじゃなかろうか。


彼方としてのOffを過ごすにはどうするか。
(1)自分にとって彼方に連れて行ってくれるのはまず芸術が身近にある。音楽、文学、漫画、映画、舞踊、伝統芸能、絵画、彫刻・・・。あまりに多様! 現代の作り手だけではなく、過去の作り手も含めるとほぼ無限にある。
(2)他にはは友人という存在も大きい。自分は自意識という狭い世界で生きる運命にあるのだけど(この事もいつか『イマ』で話してみたい!)、他者である友人は、狭い自意識から解放してくれる不思議な力がある。はるか彼方の世界へ、ワープして連れて行ってくれることが多い。そういう他者によって、自分はOnの世界で囚われ、自意識で囚われ、狭い世界でネチネチ生活している日々から解き放たれて、生命の自由感(大袈裟?)みたいなものを感覚として得ることができる。「生きてるって楽しい!」みたいな感覚。
毎日毎日あると大変で疲れるかもしれないけど、仕事のOnとか自意識とかのネチネチした世界があるから、そこから解放される瞬間が気持ちいい!楽しい!と感じれるのかもしれない。自分がまだOnの仕事の世界に1日を大部分を占めている限り、そうとしか思えないんですけどね。年をとってOnである仕事から解放されると、また違う層に入っていくのかもしれない。それはそれで楽しそう!
(3)自然もそうかもしれない。自然ってグネグネした曲線が多いし、無限性を感じるものに満ちている。
自然は、自分とか世界と一線を画して、無関係に勝手に存在していて、勝手に美しいものを表現して、観客を無視して勝手に楽しいことを毎日毎日やっている。
時々、それを覗きに行きたい。でも、今思うと、自分は全然できてないなー。だからいけないのかなぁという気がしてきた。


■結論

徒然書いた結論。『ONとOFFの切り替え』の悩みとは、その間のグレイゾーンにいるときに出る悩みなのかもしれない。Onの仕事中にOffのプライベートを考えて無駄な時間を使ったと思ってみたり、Offの時間なのにOnの仕事のことを考えてしまったり。それは、趣味でも遊びでも生活でも仕事でも渾然一体となっていない未熟な自分にとっては当たり前のことかもしれないので、ある程度はしょうがない気もしてくる。ゼロにはできないと思うけど、極力少なくしたい。

では、Onである仕事をより楽しく、Offである仕事をより楽しく、お互いがプラスの影響を受け合うにはどうすればいいか。自分の考えでは、Offの時間で途方もない彼方に行ってまうことが大事なのではないかと思う。彼方にいく手段は、自分にとっては漫画や文学を含めた芸術世界全てであったり、自分と親しい友人などの他者であったり、自然である。
自分のOffの時間は、こういうものに費やすことで、Onがさらに生き生きとしてくるのではないかと思っている。
この意味でのOnの仕事は、世間一般で流行しているものだとか、簡単に評価につながるものにはならないかもしれない。でも、自分が自分らしくあることにつながれば、それはオリジナルな仕事になるのは間違いない。それは10年後とか、30年後とか、自分が運良く死なないで生きていることができれば、必ず花開くものだと思っています。

2009.01.24 11:54 URL | いなば #F6hO5iFk [ 編集 ]

やっと自分の考え(たたき台)を書けた!これも『ONとOFFの切り替え』やらないと、なかなか書けないよ

ねー。みなさん、どんどんわしのたたき台を叩いてください。色んな音が出ると嬉しい。


次はコメントに移ります。

>>>>>>>Shin.K

(1)トリンプの毎日ノー残業デー
→いいね!こんな職場で働けると最高ー。職場xって、ひとつの共同体だから、同じ風土を共有してないと無理だよね。『上の人間が仕事してるのに何先に帰ってるんだ!』って風土がある限り、無駄にダラダラ過ごさないといけない!
(2)『仕事から少し離れて違う刺激を受けて、また仕事に戻ることで新たな発想に行き着く』
→これは、自分が書いたOffで彼方に行きたいってのと同じかもしれない。
(3)『キャリアに時代をつけ、「がむしゃらにするとき」、「私生活に重きを置く時代」と中期的にメリハリをつけて管理していくのがよいのでは』
→これもその通りだねー。時間単位、日単位、月単位、年単位、世代単位・・って別の層で考えると全然違ってくる。いかに自分が狭い価値観にとらわれていたかに気付くもの。
(4)『「がんばるタイム」という集中力を高める時間を設定し実行する』
→これ、絶対有効なんだけど、一人で自主的にやるの難しいなー。わしは弱い人間なので、誰かと一緒にやらないと無理だなー。でも、同じ職場にそんな人おらんし笑
(5)Shin.K氏の具体的な方策、かなり参考になりました。わしは全然実践しとらんので、書いたことはかなり広い話書いたんだけど、こういう具体的なアイディアはかなり参考になるねー・ありがとう!

>>>>>>>yukiko
『オンの中での「がんばらないタイム」』
→これもまた逆説的だけど有効だね。予備校の授業とかもそうだけど、人間の集中力って60分くらいが限界だと思うよ。yukikoさんが外に抜け出してぼうっとやってるのを想像するだけど、イイ!


>>>>>>>Is
(1)『「24時間365日仕事だ!」というような「100%の職業人」でありたいという思いが頓挫』
→同感です笑  
疲労しすぎると、正常な思考ができなくなって、なんとなくの雰囲気で反射神経的にやるようになっちゃうし、どんどん自分が自分でなくなるのよね。わしも研修医の2年間で極限まで労働しまくり、その限界上限の壁に当たり、気づきました笑
(2)「人生は長距離走」(by村上春樹)
→Shin.K氏のでも同じことを感じたー。『徹夜Lover的な』というのはおもろいね笑 僕ら研修医の時も、いかに徹夜で働いているかみたいな自慢のしあいっこがありました(笑
(3)『「仕事」の中には、A:主体軸  B:社会軸』
→ 確かにね。この塩梅が難しいんだよなー。


Shin.KやIsの投稿にある程度反応しながら、自分のたたき台もUpしてみましたー。
この『イマ』の企画って、自分が投稿したりコメントしたり、この渦に巻き込まれる方が絶対面白いと思うので、みなさんも書きこんでくださいな。
これも、Offの過ごし方の一つです!笑

2009.01.24 12:25 URL | いなば #F6hO5iFk [ 編集 ]

あんまり長く書けないのですけど。

まず、オンとオフの定義について。

最も純正なオフはきっと、
オンがより効率的・生産的になるようにするためのもの、ですらないと思うです。

他の目的がないこと、自己目的的な時間であること、それがオフの条件だと思われます。

オンの時間に稼いだものを、消費する時間がオフの時間。それがオンに還元されることがあったとしても、それは偶然。むしろ、オフの時間に存分に消費するために時間なり力なりおカネなりを蓄えるのが、オンの時間だと思うのです。


極論のオフですけどね、これは。

でも、何でこんなことを言うかというと、

そもそもオフとオンの切り替えを言うときはだいたい、オンの時間を効率的にするために、適宜休憩しなさいよ、その工夫をしなさいよ、という文脈があると思われます。

しかし、そういうオフは、純正のオフではないと言いたいのです。オンのための時間という目的があるからです。

でも、しばしば、このオンのためのオフと、純正のオフ(≒プライベートな時間)とが入り混じって議論されるので、区別したくって。


そいで、この純正のオフの定義に基づいて、僕のオフを続けると、

僕の場合はまず、家族や友人や恋人と、無目的に遊んでいるときがオフなんだと思います。

仮に彼らとの関係で気疲れすることがあったとしても、(ゆえに家族サービスというオンの時間に定義する人もいるでしょうが、)僕の場合は、何かのための何かを生産しないし、その時間それ自体に人生の意味を感じているのですから、これはオンではないと思うわけです。

だから、切り替えの境目は、彼らが話しかけてきたら、また、話しかけたくなって話しかけたら、オフです。


しかし、これだけではお題の本意に答えてませんよね。

というのも、聞かれているのはきっと、ひとりの時間における、つまり切り替えることを自分一人でできるはずである、または一人で切り替えなければならない局面における、オフとオンの切り替えのことでしょうから。そして、このときのオフは純正のオフではなく、オンのためのオフのことでしょう。

こういう局面の場合は、僕の場合は、簡単です。

僕はわがままな性質なので、逆に言うと、自分のオンが最高度に効率的に働いてないと許せないのでww、その非効率な自分への怒りと苛立ちのあまり、すぐオフにできます。これはほぼ逆ギレと言ってよいと思います。

とりあえずこれでおわりー。

みなさんへのコメントは改めます。


2009.01.25 01:06 URL | さくらば #ejxNrb6s [ 編集 ]

(0)そもそも論を最初に片付けておく
オンとオフの切り分け・・・ですが、この二つを切り分ける、分離しなきゃいけないという発想は僕の中にも強くあるのですが、どこから来るのか自分なりに考えました。
すると
オン=やらなきゃいけない仕事=ネガティブなイメージ
という等式が自分の中にあると気づきました。(あくまで僕の場合、ですよ)

なので究極的には、「オンとオフの切り分けなんてことに心を煩わさないためにはどうすればいいのか?」という問いが消え、いつしかオンオフなんていく区切りすら忘れてしまうのが幸福の形かもしれません。
私の尊敬する税理士の岡本さんという人は、自分のオン=仕事の究極の姿を
「仕事の道楽化」
といっていました。これはオンとオフの融合ですね。

しかしこれは理想論というか、Shinさんへの返答になっていないので、現実的にオンとオフをどう取り扱うかについて考えて見ます。

(1)オンとオフをどう区別するか。

まず頭に思い浮かべてみるのは、オンとオフの区別がついてる、という理想的な状況ではなく
オンとオフの区別が悪い意味でついていない、けじめのない状況についてです。
それを無くす手法やテクを編み出していくことが答えになるはずなんで、まずそれを想定してみます。

オンとオフが悪い意味で切り替わっていない、それはどんな状況か?

恋人と観光地にいるのに明日の会議で何を言うべきかを考えていたりする。
霧の登山道を歩きながら、まだメールの返信をよこさない顧客に催促をすべきか悩んでいる。
プールで泳いでるのに、同僚のちくりとした一言が胸でもやもやと残って、誰に言うでもなく反論を考えていたりする。

僕にとってオンとオフの区別がついてないっていうのは、こういうイメージです(ありませんか?)。
休みをつぶして仕事の懸念事項に対処する、というのももちろん一手ですが、まあ追いつきませんよね。

オンのことはオンのときに処理していくしかない。
だから、オフのときにオンのことを思い悩んでも仕方ない。
とはいえ、そんなことが簡単にできれば世話がない。
仕事への漠とした不安、もやもやとした懸念はオフの時間に間断なく紛れ込んでくる。

・・・なので、Shinさんの問いに答えるに当たり、以下のような方針を考えてみました

(問題)思い出したくもないことをオフのときに思い出している。(だから切り替えられてない)

(解決の方針)オンのことを思い出さなくていいテクニックを考える

とりあえず簡単に
オフ=オンのことを完全に忘れている時間
にしてしまえばいいのだと思います。(さくらばさんの定義に近いですね)

(2)オンのことを忘れるテクニック

構造化とかとくに意識せず、どんどん羅列していきます。(ほかに思いつくものあったら教えてください)

・忘れっぽい性格になる・・・無理(たぶん)。

・忘れるためのツールの活用・・・これがたぶん有効。自分にあったのを見つける。

(ライフハック系)GTDの活用。「殴り書きノート」(和田秀樹)をつける。
※GTD・・・詳しくは以下を参照。http://lifehacking.jp/2008/05/gtd-again-1/
※殴り書きノート・・・これは上記GTDの実践のひとつといえます。大学ノートに、「いま頭にうかんでいること(不安・疑問・目標なんでも)」を書きなぐるというものです。
精神科医(というか受験指導者)の和田秀樹オススメ。書き出すと、それを冷静に眺められるそうです。

(趣味・運動系)
以前L&Mという会社の社長が「悩みがあるんだったら、10km走ってこい!走り終わるころはへとへとで悩みを忘れてるよ」と言ってました。
体育会な発想だな~と思うと同時に、でもたぶんそういう面はあるだろうなと思った記憶があります。
※個人的に、ゴルフは下手なせいか、集中しているうちに一日がおわっており仕事を忘れた~という感じがします。

(感覚系)・・・アロマや飲食物、着る服などで切り替え
僕はこの辺無頓着なのであまり活用してませんが、前にShinさんやいなばさんから、アロマキャンドルがいいと聞いたので使ってみようかと検討してます。
飲食物についてですが、人によっては酒や薬物の力を借りる人もいるかもしれません・・・そしてそれが「悪い」と断定はできませんが、ただサステナブルなテクニックではないでしょう。

プチ断食なんてのも、ここに入るんでしょうね。飢餓感でオンのことなんか忘れられるかも・・・
http://trendy.nikkeibp.co.jp/lc/body/070208_menu5/

・・・・
さて、忘れるための手法・テクニックをいま思いつく限り書いてみました・・・
これが今のところ、僕の思いつく「切り替える」(=忘れる)テクニックです。(また思いついたら書きます)
みなさんのテクニックも楽しみにしてます。

(追記)しかしこういうテクニックを重視・偏愛しすぎるうち「オンをいかに忘れるのがオフの目的・課題」となってしまうと本末転倒ですよね。気をつけたいです。

2009.01.25 21:03 URL | RYM #pxKePtJU [ 編集 ]

Shin.Kより

>みなさま

コメントありがとう!それぞれの語り口で集まってきましたねー。

感じたことを書いておきます。

・現状把握や整理の重要性

まず第一に思ったことは、そもそもOnとOffの切り替えとは、職業やポジションの文脈で異なるためそこを整理することは重要ですね。OnとOffの切り替えが、生活上ほうって置くとどのように流れてくるかはみんな違うからね。同じ職業や職種だとよく似てくるかもだけど。
そう言う意味では、職業別に同じ悩みや方法を共有すると活用度も高いかもね。
同じく、違う業界のコツを輸入するのも、新たな気づき多いかもだけど。

Onを活かすためのOffの存在と捉えるか、はたまたさくらば君やRYM君みたいにOffのときに侵入してくる邪念を消すという意味なのかによっても、人それぞれ捉え方がいろいろ。

そのあたりは、モチベーションコントロール法でいうところのマイナス感情をいつまでも引きづらない切り替え力によるところも大きい気がしますね。

最終的には、「働いていてよかったー」とか「毎日働くのが楽しい」「暮らしていくのが楽しい」というような幸福感に繋がっていけばいいと思ったりします。

・Onの充実や満足度

しかし、いなば君やIS君が行っている、主体軸や社会軸というのは、先に記載した高橋さんも同じことを言っておりました。
どれだけ長時間労働であっても、社会的意義のあることや主体的に取り組めたものは強い動機が発生するため、疲労感をあまり感じないそうです。

一方で、単純作業で人から言われて自己裁量がないものについては、たとえ短時間であってもモチベーションが逃げていくということです。

確かに、自分の身の回りである仕事のことを思っても同じことがいえますね。
単に、「ありがとう。助かった」という一言が、疲れを吹き飛ばすということはよくある。

・Offの時間で途方もない彼方に行ってまうこと

これは響いた一言でした。
Offの時間に、自分の中にもういっこ違う世界を作り上げ、併存させておくってことですね。
面白いのは、そういう世界が、いつかOnとOffの境目を超えて交わったり、入れ替わったりということが起きるかもしれませんね。色濃く交わって、OnとOffの概念自体が消失してしまったりして!

いやー、みんな考えが多面的で面白いです。

2009.01.25 21:56 URL | Shin.K #ejxNrb6s [ 編集 ]

>>>>>>>>>>>>>>>さくらばくん
『最も純正なオフはきっと、
オンがより効率的・生産的になるようにするためのもの、ですらないと思うです。
他の目的がないこと、自己目的的な時間であること、それがオフの条件だと思われます。』

ここが究極目標だね。
《幸せか幸せじゃないかって、その問い自体が存在しない瞬間が幸せだ。》
というような考えも近いと思う。

その問いがあること自体、迷って悩んでいて、それにとらわれる自分だからこそだし。

他にも、《人はなぜ生きるのか》という問いも、動物や昆虫はそんなこと思わないかもしれない。


《問いを立てる》という事自体、その問いを中心として原因を探ったり結果を探ったり・・・そのモヤモヤしたものの周りであーでもない、こーでもないと思い悩んでいるんでしょうねー。

仕事って、縄文時代と今ではだいぶ違うだろうし(縄文時代の仕事って狩りとかになる?)。
でも、縄文時代は縄文時代で、仕事のOn/Offに悩んでた人もいるかもしれん。
(家族や友人と楽しく過ごしたいのに、狼が集落を襲ってきたとか笑)


『このオンのためのオフと、純正のオフ(≒プライベートな時間)とが入り混じって議論されるので、区別したくって。』
→こうやって色んな意見重ねると、その辺は自然とあぶりだされて明らかになってくるヨネー。
あら?俺が問題にしているOffと、他の人が問題にしているOffはなんだか違う?!って感じで。

Offにも色んな層があって、そこが重なり合っているんでしょうな。

『すぐオフにできます。これはほぼ逆ギレと言ってよいと思います。』
→いい意味での現実逃避かも。

現実逃避って、一般的に悪い意味に使われることが多いけど、わしが文章で書いてた《遥か彼方としてのOff》ってのは、完全なる現実逃避の考えだから笑
それは死後の世界とか来世とかにも応用できるのかもしれん。
現実と夢とかにも応用できるのかもしれん。

少なくとも、この生きている現実。それと違う層を持つ世界があるんじゃないかと。
完全に現実から別の世界にイッチャウのは少し違うなーと思う。

この現実世界との境界を行ったり来たりの自由自在っていうのが一番イイ!


なんか、自分で書きながら、田口ランディ「パピヨン」、よしもとばなな「彼女について」を通して考えた、死生観とかにも通じる気がしてきた。
他の人の意見を聞きながら自分のことも同時に考えてると、妙な入口から死生観とかにつながってきて摩訶不思議。面白いなー。

本題は【 ONとOFFの切り替え。みなさんはどうしてますか?】だったはずなのにねー。



>>>>>>>>>>>>>>>Rymくん

『オン=やらなきゃいけない仕事=ネガティブなイメージ という等式が自分の中にあると気づきました』
『いつしかオンオフなんていく区切りすら忘れてしまうのが幸福の形かもしれません。』
→僕も同様です!やはり、みんな遠い遥かの大まかに向かうべき方向は似てるんだねー。こりゃまた不思議なもんだ。別に示し合わせたわけでもないのに。


『(ライフハック系)GTDの活用。「殴り書きノート」(和田秀樹)をつける。』
→これは絵を描くとかも似てるかもね。俺もむしゃくしゃして心が乱れるときは、一心不乱に絵を描くようにしてます。パソコンのペイントとか、そういうアナログでもいいので。
あと、漫画読むっていう現実逃避術も、そう言えば思い出したー。手塚治虫とか楳図かずおとか。


『(感覚系)・・・アロマや飲食物、着る服などで切り替え』
→生活とかライフスタイルを思い切って変えるっていうのはわしも時々有効性を感じます。
衣替え、部屋の模様替え、掃除・・・基本的な生活の変化が、意外に自分へと無意識で影響しているモノって確かに多い気がする。


>>>>>>>>>>>>>>>Shin.Kくん
『違う業界のコツを輸入するのも、新たな気づき多いかもだけど。』
→みんな違うことやってるけど、基本的には同じようなこと悩んでいるんだなーっていうのは不思議だし面白いとこですね。

『マイナス感情をいつまでも引きづらない切り替え力』
→なかなか現実には難しいよねー笑
まあ、悩んで悩んで悩んで・・・の先に、ふと自分の中で折り合いがつく瞬間が来るときとかもあるよね。あれも、いつも不思議だなーって思う。自分と、外界と、色んなものに無意識に影響受けてるんだろうね。現実の問題は特に変わってないのに、意識が反転して、世界が反転してくる体験は不思議そのものです。
そう言えば、
『風の旅人』 36号(2009年2月)「時と転」での、編集長佐伯さんの巻頭言もよかったー。これに近いかも。
******************************
砂漠の中を歩きながら、砂嵐に巻き込まれると、
視界がきかず、混沌とした世界に感じられるが、
全体を眺め渡せる場所に出ると、
局面ごとの様相や、動きの方向性が見えてくる。

時代や社会の急激な動きの中に巻き込まれると、
視界の中に飛び込んでくる物事に意識がとらわれ、
混沌とした世界に感じられるが、
そこから距離を置くと、様々な関係性が見えてくる。

世界が混沌に見えたり、秩序的に見えたりするのは、
どこを、どう切り取るかという意識次第である。
意識が変わると、視点が変わる。
視点が変わると、世界が変わる。
******************************

『社会的意義のあることや主体的に取り組めたものは強い動機が発生するため、疲労感をあまり感じない』
→これはあると思うねー。やっぱり自分だけの幸福っていうのだけでは、人間は満足しない属性があるんじゃないかと感じる瞬間です。僕らが思っているより、人間ってものすごく大きい器で、自分が気付かないだけなのかもしれんよね。

『Offの時間に、自分の中にもういっこ違う世界を作り上げ、併存させておくってことですね。』
→そうなんです。さくらばくんの文章と呼応して書いてたら、何か死生観とかも同じかなーとか思って、すごく書いてて不思議だったよ。
現在と死後とか、現実と夢とかね。同時並行的な世界があるというか。


【 ONとOFFの切り替え。みなさんはどうしてますか?】ってのは、実は色んな問いをはらんでいるのかもしれん。どういう時間を生きるかとか、何が自分の幸せなのかとか、そういうことに太く通じてるのかもねー。

2009.01.31 23:48 URL | いなば #F6hO5iFk [ 編集 ]

はじめまして。
ONとOFFについて。
興味深く読ませていただきました。

「切り替え」についてが、テーマになっていますが、私個人としては、「基本をどちらにするか」というのが、結構大事なのではないかと考えています。

それはあとで書くことにして…
ドイツで暮らしてみて驚いたのが、こちらの人の「切り替え」の潔さ。例えば、夏休みが1か月半あったとしたら、楽器ケースを一度も開かないで(=一度も楽器を弾かない)どこかの島や海辺にずーっといたりという人が多かったりする。3日弾かないだけで、手の感覚が鈍るような職業なので、この潔さというのには脱帽。(勿論シーズン始まりのリハーサルは、何か皆焦点の合わない演奏になる。笑。が、時間が経っていくと、自然と感覚は戻ってくるもので、何をよしとするか、何に重きを置くかというところですね)。他の例をあげると、リハーサルで休憩時間になると、待ってましたとばかりに、皆一目散に部屋から出て外の空気を吸ったり、珈琲を飲んだり、太陽を浴びたりする。楽器をこそこそ弾いていようものなら、「今は休憩中なんだから音を出さないでくれ」と、怒られる。
彼らを見ていると、本当にぱっとスイッチが切りかわって、肉体的にも精神的にもリラックスしているのがよく分かる。

始めの話に戻りますが、色々なことを考えていくと、この人たちは、基本的にスイッチが「OFF」なのかもしれないと、ある時ふと気付きました。それに反して、日本人は基本が「ON」のような気がします。よきもわるきも。

突き詰めていくと、音そのものに関しても同じ事が言える気がします。音を出すという行為は、弦楽器でいうと、弓の毛が弦に触れる=ONで、それが離れるとOFF=無音=沈黙という状態が生まれます。(そういえば実際に弓をきちんとつけて所謂「べた弾き」をする箇所にはそういう風に「ON」と楽譜に書き込んだりしますね。)。

ドイツに来て、音の響きがなぜこうも違うのかと色々な事を考えますが、部屋の構造(天井の高い石造りの部屋or天井の低い畳の部屋etc...)、湿気=空気の違いなど沢山の要因があると思いますが、弾き方そのものを考えていくと、やはり基本的にOFFなのだというところに行きあたる気がします。脱力=リラックス=力ではなく重さで弾く(いつでも弾ける準備ができている)という状態=OFFが基本として成り立っているから、ONで音になった時に深く丸く響きあるものが生まれる。
それは、ONが基本であるのとは、音楽そのものも、ずいぶん違ったものになります。「休符の重み」というものの違いを、ものすごく感じるのも、そのせいなのかもしれません。

一度、ユースオーケストラで、ウィーンフィルの方々に指導していただいたことがあるのですが、その時のあの独特の感覚を今ふと思い出しました。音というのは香りのようなものなのだなという驚き。彼らの音に対する感覚は、本当にすごいもので、そこに確固としてあるものではなく、無の中から、ふっと薫り立つ(逆にいうと、空気中に実はすでに色々な音がもう存在していて、それを少し手助けして、実際に音にする)という感じでした。自然発生的にというか。音を聴くということは、沈黙をより深く聴くということなのかもしれません。彫刻家が、石の塊がこれを掘りだしてくれと訴えてくるのをじっと待つように。

なんだか、話が色々広がってしまいましたが、基本をOFFにしてみるというのは、よりよきONを見出すためにも、もしかしてちょっと面白いかもです~とお伝えしたかったのでした^^。

2009.05.31 09:02 URL | la strada #W.qtK3a2 [ 編集 ]

>la stradaさん

基本をOFFに置いておくというのは興味深いですね。そういうのは一体どこからやってくるのでしょう。国家の富と歴史が関係するのかなあ。

住居環境、職場環境が変わって、ここ数ヶ月は、学生生活だからもっとOn, Offの切り替えがはっきりOffよりにできるのかと思ったら、全然できていなくてあまり落ち着きません。

でも、環境がかわれば切り替えのスイッチを再定義してつくりなおさないといけないのは至極当然でしょうね。それを環境に適応するというのでしょうから。

ここでの生活は、勉強しているときはOn、していないときは仕事のことを考える必要もありまたOn。
東京のときは部屋に戻れば代替Offに物理的に切り替わっていたのとは違って、変な囲われ感があります。

基本をOffに置くそんな文化の中でちょいと暮らしてみたいです。果たして中国ってどっちなんだろう。そんなのもこれから要観察です。

2009.06.02 20:44 URL | Shin.K #ejxNrb6s [ 編集 ]

こんな風に、ふとした拍子につながって話題が伸びていくのはいいですね。
こんな感じでユルリユルリとつづけていきましょう!

僕も、基本がOFFって発想は面白いと思った。
たしかに、僕らは、知らず知らずのうちに「いかようにしてOFFを作るか」という視点ですよね。それは、既にONからいかに抜けるかという発想。
視点を逆転することって確かにすごく大事。

日本みたいな村社会(特に医療業界)は、基本的に全員がONの状態から抜けられない人ばかりなので、その中で一人違うモードで存在するってのはなかなか困難なこともあります。
でも、そんな小さい場からコツコツと視点を変えていかないと、今の医療現場はみんなで足の引っ張り合いをしていて(OFFを作らないように強制する)、聖徳太子が言う「和」の文化を間違って解釈しているんじゃないかとすら思いますねー。

音楽の比喩も秀逸でした!

視点って固定化されると、固定化されていることすら疑わないんですよね。
だから、常に小手先の対症療法ばかりするから、根本的な解決にはならない。

デカルトが言う「方法的懐疑」の重要性はそこにあるのかもしれない。
常に疑うこと。現状を疑うこと。
全てを疑いつくした時、そこには疑っている自分が存在しているのは確実にわかって、その疑う自分だけは疑うことができない。
これこそが「私は考える、ゆえに私はある」の真髄なんだと思いますね。

そんな疑いの視点から、「基本ON→OFF」の発想を、「基本OFF→ON」への発想へと反転する運動も起きるのかもしれない。

ま、デカルト論は、第5回コリン会に続くかなー。(^^

2009.06.13 18:31 URL | いなば #F6hO5iFk [ 編集 ]

ONとOFFの切り替え,みなさんの投稿,すごく面白く読みました。
考えれば考えるほど,定義とかがわからなくなってきて,難しいテーマですね!
ものすごく乗り遅れていますが^^;,最近思うところを書いてみようと思います。

◆精神的なONとOFFの切り替え

ONとOFFの切り替えを,精神的なON(仕事への集中)とOFF(余暇の堪能)の切り替え,つまり「効率的な気分転換」「気持ちの切り替え」のように捉えると,私は本当にこれが下手すぎて,どうしようもありません。昔から貧乏性で,仕事にせよ勉強にせよイベントにせよ,何か本番的なものが控えていると,気持ちが120%そこに入ってしまい,それが終わるまで,基本的に夢の中までONに浸食されてしまいます。辛くなって,「気分転換したい!」などと口では言っていても,実はその瞬間,私はたぶん心の底では関係ないことなど一切したくないんです。したくないのに,集中力が切れてふと違うことをしてしまいますが,それも最終的には「現実逃避してしまった…orz」と自分の中で否定的に位置づけられてしまって,逆に疲れます。ですから,気持ちのスイッチを日々パチっパチッと入れ替えられる人に憧れと敬意を抱きつつも,最近では諦めて,どうせこれが終わったら自然と心身ともにぷわーっと楽になってOFF状態になるのだから,無理に気分転換の努力などせず自然に任せよう,と思っています。実際,放っておけば,興味が外に向く時期が必ず訪れます(ただ,仕事のONが続くと,OFFの頻度が少なくなってバランスは崩れてくるのが難点ですね)。

そういう意味で,私の中で,ONとOFFは,意識的な切り替えというよりは,陰陽思想の太極図のようなイメージです。「陰虚すれば陽実し、陽虚すれば陰実する」,ON終わるところにOFF始まる,みたいな。(参照ウィキ:http://ja.wikipedia.org/wiki/陰陽)。

もっとも,私がここでイメージしているONは,仕事でも全ての仕事時間ではなく,何か一生懸命に取り組まなくてはいけない,テンションを上げなくてはいけない仕事のことですし,ここでイメージしているOFFというのは,単に暇な時間があるという状態ではなく,余暇を楽しみ,仕事と違う分野に興味を持って楽しんでいる状態のことです。そういう意味では,どちらもまあ,スイッチの入った状態ですね。


◆ワークライフバランス

これに対して,Shin.Kさんのおおもとの問題意識であるワークライフバランスについては,これとは似て非なる物理的なONとOFFの問題ではないかなと思います。ワークライフバランスというのは,仕事と「余暇」のバランスの取り方ではなく,文字通り,「仕事」と「生活」のバランスだと思うからです。ここでいう「仕事」は,夢中になっていようがルーティーンだろうが,「仕事に物理的に拘束されている時間」という意味での仕事ですし,ここでいう「生活」とは,潤いがあろうがなかろうが,物理的に仕事に拘束されていないプライベートな時間,という意味です。

日本でワークライフバランスについて語られるとき,どうも「仕事」以外はいわゆる「余暇」,つまりすることが自由に選べて,身も心もリフレッシュできる時間であるというように思われがちです。でもこれって,「仕事以外」をほぼまるごと余暇として過ごせる独身者の理論,あるいは家にしっかり者の奥さんがいて家庭のことを何も心配しなくていい男性企業戦士の理論ではなかったでしょうか。仕事が忙しい,でも仕事時間は削れない,ならばわずかな時間でもそこで上質な気分転換をして,明日のよりよい仕事に生かそう!と,日本人はどうしてもすぐに精神論で解決しようとしますが,ワークライフバランスを保つには,質はどうであれ,物理的にプライベートの時間を確保することが不可欠だと思うのです。なぜなら,「仕事」以外では,「余暇」よりも先に「家事」「育児」「家族との最低限のコミュニケーション」といった物理的に時間を必要とする無数のルーティンがあり,それなしでは健全な生活は営めないからです。

私は共働きで,夫婦共に,忙しいときには毎日夜中まで,ときには週末もつぶして働くような仕事に就いています。仕事が楽しければ,それ自体は苦にならないことが多いです。でも,例えば,毎晩1時まで仕事して3時まで結婚式の準備をしていたときは泣きたかったですし,転勤した直後から忙しくなると,各種住所変更の手続や,家の中の段ボールを開ける時間すら足りなくて,余暇どころではありません。それでも,いまは気楽な夫婦生活なので,「家めちゃめちゃだねー」などと笑って暮らせますが,こんな状態で子どもを育てられるかというと,はっきり言って自信は皆無です。たとえ毎日家に7時に帰ることができたとしても,子どもの夕飯を作り,家族で食べ,後かたづけをし,明日の学校の準備をし,お弁当のおかずを作り,自分が家にいない間のおやつに気を配り,家を清潔に保ち,週末の予定を考えたら,毎日はあっという間に終わるでしょう。それでも,各家庭にとって,そういう時間は必要不可欠なものです。それに子どもがいなくても,本来,こういう時間は,皆に物理的に必要なはずです。

日本の働き方には「生活感」が欠けている,と私はここのところずっと思っています。徹底したプロ意識も,ストイックな職人気質も,決して妥協しない仕事の質も,全て日本人として今後も絶対になくしてはいけないものだと思っていますが,それらがはき違えられて各個人の生活という足元を必要以上に脅かすとすれば,社会全体ではマイナスと言わざるを得ません。例えばの話ですが,100人の人が,休みもなく,我が身と家庭生活を犠牲にして毎日夜中まで社会のために働くことと,その100人の人たちが,毎日規則正しく家庭生活を送り,150人くらいの健全な子ども達を世の中に送り出すことでは,どちらが長い目で見て社会のためになるか?…雑な問題のたて方ですが,私はいつもこの質問の前に,自分の今後の働き方,生き方について立ち止まってしまいます。

La stradaさんの「基本がOFF」というのはとても面白く,フランスにいても痛感することですが,「基本が個人の生活」という風にも言えるかもしれません。生活の中に仕事がある。生活のために働く。夕方6時に家に帰るのは,権利でも義務でも恩恵でもなく,子ども達の学校と同じように,仕事時間にきちんとした「枠」があるからです。日本は,ストイックすぎて,潜在的な競争が怖すぎて,活動すべき時間の枠がなくなっていっているように思います。大人は際限のない残業と土日出勤,子どもは学校が終わった後の塾通い…。

このワークライフバランスは,忙しく働く各個人の気持ちの持ちようでは解決できるものではないですよね…。どちらかというと,組織の中のいわゆる偉い人たちが,「制度」や「空気」(○時以降は,会社にいられる空気じゃない…とか)として定着させていってくれないと変わりにくいと思います。(その意味で,Shin.Kさんが紹介されていた,従業員に反発されつつも定着させていったトリンプの試みは素晴らしいと思います!)。そのためには,働く側も,働いた成果を享受する側も,各個人の健全な「生活」の価値をもっと意識的に見いだしていかなくてはならないですね。

なんか,テーマに沿っているんだか,ずれているんだか…。とりあえず,長くなってすみません^^;

2009.06.25 02:43 URL | MY #A6.BcMS6 [ 編集 ]












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